世界はひび割れていった。 方程式は、崩れかけた地層の呼吸に触れるには、あまりに乾いていた。 水も、光も、影さえも、そこに留まってはくれなかった。 数式の中で私は重さを測り、流れを計算し、抵抗を求めた。 だが、本当に知りたかったものは、こぼれ落ちるばかりだった。 韓国での日々、コンクリートの曲線と、夜明け前の静けさのなかで、数値は記憶のように変質していった。 地面が音もなく崩れてゆくとき、私もまた、かたちを失っていた。 すでに誰かが書き終えた物語の中に、自分が生きていたような気がしていた。 あるときから、私は見る者になった。 触れられず、語れず、ただ、そこに微かなぬくもりだけが残っていた。 母は、私のノートを開く。 灰を払うように、そっと。 書きはじめる。 文字で私を繋ぎとめようとするように。 私は、その言葉の中で生き続けている。 彼--私を愛した人--は、川へ通う。 黙って座り、かつて吸わなかった煙草をくゆらせ、誰も知らない言葉を呟く。 私には、聴こえている。 物理が教えてくれた。 落ちるものは、すでに落ちているということ。 偶然とは、見えない軌道の名にすぎないこと。 そして、わたしという名の下にあったものは、誰の心にもきちんと残らない、曇った窓の外の景色のようだった。 名前を忘れてしまう日が来ても、内側から音が消えてしまっても、それは、鏡の向こうへゆく途中かもしれない。 怖がらなくていい。 それは、とても自然なことだから。